外国語レッスンを通じて見えてくる老化と仕事

英語は当たり前としてフランス語に続いて学んだ言語は中国語だったが、発音に簡略漢字に文法と苦労したが、あの頃はまだ35歳で何とか、カラオケバーで楽しく飲むくらいは出来るようになった。今でも漢字で中国語の歌も歌える。そして今度は61歳にしてトルコ語である。本当に腐った脳みそだと実感する。恋に落ちた彼女の笑顔が支えで何とか続けているが、宿題になったたった100個くらいの単語が覚えられない、毎朝単語の復唱をやっているのに正答率は8割程度に過ぎない。言葉なんてどんな馬鹿でも話すのだ。本当に情けない。だからこそ定年後の嘱託の給料は下げざるを得ないのだとやっと実感している。本人はやれる、同じ仕事をしているのに納得出来ないと思うのだろうし、自分もそう思って来たが、明らかに脳の働きが低下している。これはまずいと感じて酒量を大幅に減らし、会食がない限り、飲まないようにして、やっと80点なのだ。このまま70歳まで働くにはストイックに生きて行く必要があるだろうと外国語レッスンが気づきの機会となっている。ストイックでないととてもまともに働いて行くことは出来ないだろうと思う。それに身だしなみにも相当に気を使わないと汚い年寄りに成り下がるだけだし、加齢臭など以ての外である。腹も出ていてはダメだし、シミだらけの顔もいただけない。年寄りはただいるだけで胡散臭いのだ。これは大変なことになったと感じているが、料理と洗濯、アイロンと自分でやることで手も動かして暮らしている。そうしてやっと人並みの仕事が出来るのだ。後は経験と人脈だけが、アドバンテージであり、それが使い物に全くならなくなったら、その時が本当の引退である。それまでは働くしかないのだから、たとえ老いらくでも恋くらいはさせてもらいたいと思う。こんな年でも胸がときめくのだから不思議である。

f:id:yukizokun1992:20200208022136j:plain