働くしかなかった、でも?

メンタルダウン、引きこもり、無気力とか、いろいろやる気が出ない、家から出れないなど御託を並べる怠け者に迎合する輩がネット空間では跋扈している。それでも生きているなら、何と贅沢なのかと昭和、平成、令和と働くしかなかったし、これからも働くしかない自分は思う。こちらは、60歳を超えても連休の休み中なのに仕事をしているのだ。そんなにして働いても、凡人は何者にもなれず、大金もなく僅かな蓄えを頼りに生きるしかない。とは言え人はそれぞれであり、他人を非難したいわけではないし自分に絶望しているわけでもない。ただ、ある意味、社会から逃避する時間を持てる人を羨ましいと思う。自分のように這ってでも出て行く小心な人間には出来ない技だ。皮肉でなく、そう思う。冷や汗をかきながらも、ここで休んだら、居場所がなくなる、生活が出来なくなると必死になって外に出るのだ。仕事を終え、気がつくと盛り場で酒を飲み、女を口説き、身体を重ね、快楽に溺れることで苦しみを一瞬でも忘れ、逃げ出して来た。そして他人を傷つけ、自分が生きながらえて来たのかもしれない。となると他人に迷惑をかけず、社会から脱落していた方が良いということも言えるのかもしれない。人間、何が正しいのか、簡単に答えが出るものではないのだと他人に優しく出来ない余裕のない自分を反省する。今は曲がりなりにも身体が動き、脳も機能しているから働くことが出来るが、精神的ではなく、肉体的に動けなくなった時のことを考えなくてはならない年齢になっており、いままでにない生き方、盛り場からは離れ、清廉で質素な生活を送ることが必要なのだと思う。これからはビジネス書は捨て、心を学ぶ、ある意味宗教的なものを学ぶ必要があるのかもしれない。

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