考えて見れば所詮水槽の中!

今回は25日間の出張である。7都市を訪問する。毎日洗濯しながらホテル生活を送っている。しかし、出張手当だけで食べて行くのは大変である。酒は嗜好品なので手当に含まれていないのはわかるが、物価というか高級ホテルの食事代も当然お値段もお高いので食事をすれば自腹となってしまう。会社の命令で出張しているわけだし、ホテルも安全を考えて会社が予約しているのだ。何で出張手当では食事代が賄えず、自腹か断食となるのか納得がいかないが、サラリーパーソンを長くやるには不満があっても我慢強く、身体も精神もタフでないとやっていけない。一日一食でも仕事をしなければならない。それでも大した処遇というか、多くは役員にはなれずに社員で終わるのが、普通なのだから、貧乏に耐えながら残りの人生を送って行くのが、大方のサラリーパーソンの老後なのである。実際、年金生活に入ると、年金額は初任給レベルに戻ることになる。そんな事は意識せずに38年間働いてきたが、定年前になると突然注意喚起されるのだ。まだ自分は元気だが、ここに来て如何に貧乏生活を送って行くことになるのか、身につまされていて、彼女とも別れる覚悟だし、残り4年強、出稼ぎ生活で且つケチケチで行くつもりだが、所詮は億に足りない金しか残らないだろう。ただ住むところはあり、食材は縁類から援助してもらえそうなので、貧乏生活は送っていけそうだが、好きなワインはデイリーワインとなるだろうし、日頃何気にやっていた松坂牛のすき焼きにデュクルボーカイユを合わせて楽しむなんて事は夢になるだろう。ディケムにフォアグラとか、身体には悪いが、本当に美味な世界は遠くになって行く。プティシャブリにスーパーの刺身くらいが最高の贅沢になるのだ。何と淋しい老後なのだろうか?朝からサロンのシャンパンにキャビアの人生ではなかったのか?千円のカバにタラコでは本当に可哀想というか惨めな老人だ、それが自分の老後なのだ。宮が好きだったシャトーラトゥールを赤坂芸者に囲まれ、一緒に楽しんでいたあの頃は何だったのだろうか?仕事も忙しかったが、体力もあって本当に自由に生きていた。麻布にも赤坂にも六本木にも部屋があったのだ。ただ今もう昔話に過ぎない。人は限られた世界の中でしか生きられないのだろう。自分は武蔵野のトカイナカで慎ましい老後を送って行くことになるのだろう。

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