49対1

日本の資産1億円以上を保有する世帯は50世帯に1世帯となっている。マス層である49世帯には貧乏と貧困があり、正規サラリーパーソンは大方貧乏層にいるのだろう。自分も正規社員として定年を迎えたのだが、常に書いているように貧乏層なのだ。ところが貧乏人である自分がまるで金持ちであるかのように思えるくらいの驚愕するような貧困話が巷に満ち溢れている。学生の貧困、若い女性の貧困と性の問題、非正規サラリーパーソンの非婚化と生活難、そして資産格差の拡大が日本でも起こっている。一方で日本は世界でも有数の社会インフラ整備国であり、売られている食品の品質の高さを考えれば、貧しいとは言えない。少なくとも貧困国ではないだろう。ただ世界の富裕層に目を転ずる時、その生活レベルを見れば、日本の富裕層など一気に貧困に逆戻りするかのように感じられる。要は都度指摘しているように比較の問題であり、基準の問題でもあるのだろうが、この格差は一体何なのだろうか。自分としては、貧乏な自分に不満を感じているし、生活にも金銭的な制約があり、定年後も働かなければならず自由な時間も限られている、それにいくら格差を見せつけられても、最早生活レベルを改善するとか貧乏から脱するとかのチャンスはない。老いとは非情である。もう頑張りは効かず、学ぶことも出来ず、経験だけで仕事をこなしているだけだが、自分の場合は貧困ではないだけマシだと思うしかない。問題は49世帯のうちどのくらいが貧困に転落し、どのような貧困に苦しんでいるのかである。政治はそこを見える化して国全体で貧困問題に取り組んで行く必要があるだろう。選挙に関連した政治家の話を聞いていても話にならないくらいレベルが低い。消費税ではなく先ず49対1の1の部分に斬り込んで行くべきなのだ。49から絞り取るのはやめてもらいたいが、結局は1が守られるのが、世の中なのである。自分は運良く上場企業の海外部門に長くいて、海外留学も駐在も経験したので、それなりに世界を見たし、現役時代は待遇もしてもらった。嘱託としても海外出張が続いており、もう海外は十分である。老後は海外には関心はなく日本にとどまるつもりだ。まあ貧乏でも衣食住は確保しており、縁類の近所に住むのでお互い助け合いというより、資産家の彼らに助けられることになるのでサラリーパーソン時代の海外話や自慢話を厳に慎み、常に謙虚に腰を低く、何でも手伝う姿勢で生活を送らねばならないだろう。トカイナカで縁類あい親しみ、冠婚葬祭をつつがなく送って行くようなささやかな老後を目指したい。

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