60才、7月31日にもの思う。

7月は21日間出張で、まだ外地にいる。今月はやっと出血が止まった感じで、こずかいも8万円程度で済んだ。8月は家人のインプラントの残りの手術があり、50万円の赤字というか費用が発生するし、10日間の夏休みも取るので大きな赤字になる。愛犬がまだ1才で車に酔うので、旅行の計画もなく地元でのんびり過ごすつもりだ。ということでなるべくお金を使わず、慎ましく過ごしたい。月曜日は同僚とホテルに戻ってから飲んでしまい、2万円も使ってしまったのだが、銀座のことを考えれば安いものだ。一晩で10万円の価値が銀座のどこにあるのか、他方キャバクラも時間制なのでさらにお高く20万円は取られていたので、馬鹿なことをして来たものだ。有名なキャバクラでワインを飲んで格好をつけていたのだからお金がないのは当たり前なのである。それで何か良いことがあったかと言えばない。まあ何度かガールフレンドが出来、その時その時は夢中になったが、冷静になって考えれば、貯金をむしり取られただけだ。定年後も散財していたが、日記を書くことにより、自分を見つめることで漸く最近自分の立ち位置を認識するようになって来た。遅きに失した感はあるが、もうすぐ61才、65なのか、70なのかはわからないが、このままでは長生きするリスクには対応出来ないので、出稼ぎに出る覚悟を固めた。良く考えれば、自分が計画している税込500万円の老後生活ポートフォリオは順調な配当金収入と年金定期便の金額を前提にしているので、大幅に収入が減るリスクがある。まあ出来れば65才で老後生活に入りたいが、生活プランナーなる評論家なのか、アナリストなのかはわからないが、皆さん年金を当てにせず働けという。健康年齢までただ働くのでは、サラリーパーソンはやはり現代の奴隷なのだろう。平均寿命ではなく、61才の人間が、あと何年間生きるのかと考えねばならず、そうなると長生きのリスクがあるし、自ら死ねず介護生活になるリスクもあるというわけだ。公的年金は75からという話というか、政府内では議論されているようであり、自分が60になったら年金は65からになっていたように、65になったら70から、70になったら75からと本当に死ぬまで働く時代が来るのかもしれない。一方で若者や移民との職を巡る激しい争いも想定されるが、体力と記憶力の衰えた老人は本当に不利であり、最低賃金レベルの仕事しかあてがわらえず、富裕層以外の老人は本当に悲惨なことになりそうである。危険な外地に出稼ぎに出て、どのくらい貯金することが、出来るかで少しはリスクを減じたいと思うのである。

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