今週末は出張中

今回は週末を挟んだ出張で海外にいる。今日は土曜日、昨晩は会食でお腹も膨らんでいて、朝は10時から、ブランチのつもりでホテルのバイキングを取る。今、ホテルの中二階のソファーで朝食後のゆっくりした時間を過ごしている。外は冷たい雨で運転手には夜の食事の送迎だけお願いした。先人達のお陰で世界中にネットワークがあり、事務所もあり、運転手も使えるので、有難いのだが、世の中のうわばみしか見ておらず、付き合う人間もその地その地のエリートであり、自分の感覚は世の中から少しズレているのかもしれない。勿論、世の王族や成功した企業家から見れば自分など米粒みたいな存在であることは良く分かっており、彼らのなり振りを横で見ることがあるので、つい彼らを基準にしている自分がいて、なんと自分は貧しいのかと思うわけである。サラリーマンは株主の奴隷に過ぎないのだが、と言って下は見えないところで仕事をこなし、今日は出張中で、こうして高級ホテルで食事後のお茶を楽しんでいる。空港では常にラウンジにいるし、飛行機はビジネス以上、移動の車は最上級のレクサスかベンツかBMV、食事は常に高級店でたまの観光もガイド付きで優先レーンで並ぶこともない。落ち着いて考えてみれば、十分にスポイルされているし、常に謙虚に偉ぶることはせず、こうべを垂れて振舞わなければならないと肝に命じている。そして都会の片隅で目立たないように暮さねばならない。年間100日以上、常に出張している自分がどのように過ごして来たか、過ごしているかは家族にも語ったことはなく、とても話せるものでもない。親兄弟には離婚後の養育費の負担が重く、常に金がない、金がないと念仏のように唱えているが、そんなに苦しいはずはないとおそらく気付いていると思う。ただ波風は立てたくないのか、表面、一族郎党内は平穏無事である。娘だけは言いたい放題、甘えたい放題になっているが、とにかく可愛いので致し方なしといったところだ。ただ斯様に身勝手な生き方で良いのかという問題がある。遥か記憶の彼方に3才から通ったキリストを信仰するベルギー人牧師が開いた聖母幼稚園がある。最後の審判があると信じることが出来るのかという迷いの中にいる限り、周囲の人の声は聞こえないのかもしれない。事実、こんな事を書いているようではダメなのだ。神を嘲笑うことは決して出来ない。やはり三つ子の魂百までなのだと思う。明日の日曜日次の国に移動する。

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