ハープの音色を聴きながら憂鬱になるなんて

今日は日曜日、遅い朝食をホテルのバイキングでハープの演奏を聴きながら取っている。最近は糖質ダイエットでパン類は食べずに頑張っているので漸くズボンが楽に腹に納まる。それにしても朝から優雅な気分である。今回はヒルトンのエグゼクティブに宿泊しているが、実際はエグゼクティブなどではない非正規サラリーパーソンだ。発展途上国での仕事だからこその待遇である。いつテロリストが襲ってくるかわからない、正規社員が尻込みするのも最もなところだ。海外の仕事に携わって39年目になるが、怖い思いも何度かした。コーランの開端章も暗誦している。そのくらいは当然の備えだと思うのだが、何故備えもせずに出かける人がいるのか良くわからない。この世の中では、備えがあっても不条理な事件に巻き込まれる不幸に見舞われることも起こる。最近は日本でも、日常的に突然の不幸が襲って来る。出来る限りリスクへの備えはしなければならない。私にとっての日常のリスクは娘である。今回出張に出る前に寿司を娘に強請られて、久兵衛のカウンターでシャブリの一級とともにお好みで楽しんだ。庶民のささやかな贅沢ではあるが、笑顔の娘を見るとやはり愛おしさで胸が一杯となり、我儘を聞いてしまう。カウンターは満席であり、ここにも不況感はない。自分も貧乏と常に感じているが、世の中の富裕層を見なければ、娘と楽しむたまの久兵衛やロブションで貧乏などと思わず満足していたはずなのだ。マスコミの貧困や格差を煽る姿勢が問題なのだ。人はそれぞれと思いたいが、この世の異様な格差を目の当たりにすると、自分の生活の惨めさが浮き彫りになる。世の中が見えなければ今の境遇で何の不満もなかった。せっかくの朝の優雅な気分が、物思いに耽るとこうしていつもドツボに落ちる。しかし、何のかんの言っても娘の我儘を楽しみにしている自分がいる、貧乏でも金など惜しくないし、甘えて貰える内が華なのだろう。

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